1月16日、17日に渡り、核兵器廃絶を目指す世界の都市で作る「平和首長会議」の国内総会が武蔵野市で初めて開催されました。
「平和首長会議」は、広島市と長崎市の呼びかけで43年前に設立され、世界各地の8466の都市が加盟しているものです。
今年は被爆から80年、さらには阪神淡路大震災から30年目にあたる節目でもあり、本市での開催を大変意義深く感じています。
武蔵野市立第三小学校吹奏楽団によるかわいらしい演奏から始まり、本市の平和の取組み発表、本市在住の戦争体験者講和(映像)、写真家の大石芳野さんによる講演がなされ、最後まで目が離せない内容でありました。
武蔵野市は、戦時中、軍用機の部品を生産していた中島飛行機武蔵製作所があり、最盛時には約 5 万人 が、24 時間操業で働き、軍用飛行機のエンジンを生産していました。その量は日本の全生産量の 30%近くを占めていたと言われています。
そのため、その工場がアジア太平洋戦争(1941~45 年)の末期に、アメリカ軍の空襲の標的となり、徹底的に破壊されました。
1944 年(昭和 19 年)11 月 24 日、マリアナ諸島からの B29 による日本本土空襲が始まり、その最初の目標となったのが、この中島武蔵工場でした。その後、日本本土空襲は激化 の一途をたどり、東京、大阪、名古屋などの大都市から地方都市までが無差別に爆撃され、ついには広島・長崎への原爆の投下に至りました。
その間にも、アメリカ軍は中島武蔵工場を繰り返し爆撃しました。その回数は、敗戦までに 合計 9 回に及び、従業員ら 200 名以上が死亡し、500 名以上が負傷したといわれています。

度重なる空襲を受けたことなどから、武蔵野市では平和への取り組みに力を入れてきましたが、今回初めて武蔵野市で総会が開かれることになったのです。




プログラムでの体験者講和から、中島武蔵工場の爆撃、広島・長崎での原爆の経験をされた方が市内にいらっしゃり、つらい思い出を抱えながら日々暮らしていること、そして、存命の方が少なくなっていることの危機を感じずにはいられませんでした。
さらに、写真家大石芳野さんの講演では、日本や世界中の戦争経験者の方の写真一枚一枚丁寧に、それぞれの印象的なエピソードをお話くださりました。市内でお世話になっている方の写真も紹介され、改めて敬意と感謝の念が沸いて参りました。
世界中の戦争の傷跡を訪問し、経験者からお話を聞き、記録していく・・・体力的にも精神的にも大変な作業であると思います。小柄で物静かな大石さんに秘められたパワーにも感嘆してしまいました。
沢山の方の人生が詰まった1時間30分、頭と胸が一杯になり、閉会後もしばらく放心状態でした。。。
平和は意識しなければ守られないことを肝に銘じ、戦争経験者が少なくなっている中、自治体として平和への取組みを続けていくことの大切さを改めて思いました。

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